玲が破滅した日

くるみ「じゃあ今日は皆で割り勘ねー」
ファミレスでの文化祭の打ち上げも終りをむかえ、C組のいつもの面々は席を立ちめいめい財布を取り出していた。
玲「あっ…」玲の財布には、五円玉が三枚。
玲「ごめん…私金がないわ…」
くるみ「あ、いいよいいよ」
玲「ごめん」
玲(くっ…貧乏はつらい…)
皆が金を出し合ってるのに自分だけは払わない
玲「まああとで返すよ」
気さくを装って言葉を発し、明るくクールに…とやりたいところだが
その日の玲はひどく疲れていた
「ん…なんだこの空気…」
なぜか全員よそよそしい。ん?何かあったのか?
どうした。金ならあとで返すって言ったじゃないか。
 
そのまま外へ出てもその空気は消えることがなかった。
いつのまにかくるみと姫子がヒソヒソと話をしている。
「…いつもいつもだよねー、ホント嫌」「マホ、貧乏って嫌いダヨー」
いつもなら「おい」と姫子のアホ毛を引き抜くところだが、今は文化祭の疲れが玲のその気力を奪っていた。
(…)
いつのまにか少し離れて歩く玲。くるみ達はこれからきれいな一軒家やマンションに帰るのだ。
対して自分は…
…河原に建てたトタンとベニヤの小屋
 
「…負け」
 
その言葉が玲の人生そのものだった


桃月学園のそばを流れる川の中州、葦原をくぐりぬけていった先に玲の家はあった。
飛び石伝いに十メートルくらいの流れを渡ると、泥色に染まったブルーの屋根の小屋の玄関にたどり着く
…玄関といえないような代物だが。
入口を塞ぐしけったベニヤを横にどけ、玲はその場で靴を脱ぎ中に入る。
足元はホームレスから奪った青いシートをひいただけの床。河原ゆえに石でゴツゴツしている。
その中のやや高めのでっぱりが、玲のソファだ。
「さて…と、フナでも釣るかな…」
玲はトタンをくりぬいただけの窓からポイッと釣り糸を放り投げる。窓の外はすぐ川の流れだ。
釣竿を買う金などないので手で直接糸を持って釣り上げるのだ。
向こう岸には立派な釣竿を持った釣り人が怪訝な顔でこちらをみている。
「フフフフ…釣竿なんて邪道なんだよ。手で釣るのが通の釣り方なんだ」
玲は小声で釣り人に向かってつぶやく。
だがこの日だけは、自分自身に向けてもそうつぶやく心地だった。
 
「ヤーイ、メガネコジキー」
ガン、ガン、と硬いものがトタンに当たる音がした。
玲はすぐさま釣りを中止し、長い髪を振り回して表に飛び出した。
「こおおらああああ!!」
小学生の男の子が6人、釣りをしてる流れとは小屋を挟んで反対側の流れの向こう岸から
石ころをガンガンぶつけていた。
「おーっ、俺壁に当たった!」「よーしつぎは窓から中に投げこもうぜ」「じゃ俺はメガネコジキのメガネ!」
ちくしょういつものガキだ。この距離じゃ手のひらの目玉出しても見えないだろう。
「こおらあああ、てめええらゆるさああん」
ワーワーと騒ぎながら小学生たちはあっというまに逃げていった。
「くそお、乞食だとお…あいつら…」
確かに玲は乞食ではない。でも玲は、それに等しい生活を送る人生しか経験したことがなかった。
「そろそろバイトの時間だ」
今日は釣果なしか…さっさと糸をあげて、制服のまま家を出る。
新聞配達で必死になって貯めた金で買った桃月の制服2着。寝間着も普段着もこれオンリーである。
役所に撤去されないように…窓やドアに厳重に南京錠をかけ、また飛び石伝いに葦原まで流れを渡り土手に登る。
今日もいつもの中華料理屋のバイト、そして午後11時からは道路工事の交通整理のバイトだ。
「今日も寝れないな…」冷たい風が吹く土手道をロングの髪をなびかせながら歩いていく。
 
中華料理のバイトを終え店の玄関を開けると雨が降り出していた。
「あちゃ…警備員のカッパはむれまくってやなんだよな…」
まあ、穴だらけで屋根が機能してない自宅よりはぬれる心配がないからラッキーというべきか。
「前向き…人生前向きだ…」
無限に流れるヘッドライトと排気ガス。クラクション。トラックの運転手の罵声。耳をつんざくアスファルトの破砕音。
黄色と黒の縞々模様と白く怪しく光る蛍光コーン。深い蒼の制服に身を包む自分。
「やあ…玲さん…」
ナヨナヨとした人工音のような高音域の声がした。メソウサだった。
「おたがい頑張りましょう…」メソウサも同じ現場に配置されていたのだ。
「ベッキーさんに少しは役に立てといわれたので…ええ、旗振りだけなら両手でつかめばホラ…アッ」
お約束のとおり両手の間をするっと抜けて手旗が落ちる。
玲「旗じゃなく手を直接ブンブン振れ。そうすれば旗はイラン」
メソウサ「あ、そうですね。こんな僕でもできる仕事があるなんて感激です」
玲「…」
自分の将来に思いをはせる玲。
雨足がだんだん強くなってきていた。
時計の針が0時を過ぎる頃、すでに道路を走る車もなくなっていた。
雨は土砂降りとなり、案山子状態の玲の体温を奪いつつあった。
「車があれば…腕を動かすからあったまるのにな…」
トラックのヘッドライトがむこうからやってきた。久々に誘導を行う。
「ねえちゃん、橋が洪水で通れなくなってんだけど、抜け道はないかな」
運転手が窓から身を乗り出して玲に聞いた。
「えっ…」
 
警備員の制服のまま、いつのまにか真っ暗な土手に来ていた
あたりは消防車やパトカーの赤色灯だらけ。
土嚢をつんだ迷彩色のトラックの間を抜けると、今にもあふれそうな黒い流れがそこにあった。
「…!」
ドーッと流れる悪魔のような流れ。
葦原も飛び石も…中州自体が完全に消滅していた。
玲の全財産と、唯一の家とともに。
「きみ、危ないから離れなさい!」
自衛隊員に両手をつかまれひきずられる。
「いやだ…嫌だいやだいやだいやだあ、なんで、なんでなんで…」
足をばたつかせ、その顔は涙を雨が流し、雨を涙が流していた。
玲はいつものクールさと理性を忘れて、やまない雨を降り注ぐ真っ黒な夜天を呪った。

一夜明けて、玲は本当に乞食になってしまった。
土手の上にひざを抱えてじっと座る。
夜明けとともに川はいつもの流れを取り戻し、あの中州も見えていた。
…だがもう、自分の家はなかった。
自分に残ったのは、メガネ。
それだけだ。それが自分の全財産だ。
今日からいい橋の下を探さなくちゃ。駅のほうがいいかな。中華料理屋に居候するか。
…とにかくもう、みっともなくて学校には通えないな。
こんな姿、姫子やくるみなんかにとても見せられない。
さて、まずは通行人に金を入れてもらうためのいい空き缶をさがすか。
 
 
「あーっメガネコジキだー」
「おいメガネコジキの家がなくなってるぞー」
「アハハハハハコジキだーコジキーだ」
玲の腰に石が当たる。
「…」

玲はじっと川の流れを見ていた。

「メガネコジキ!メガネコジキ!」
「メガネコジキ!メガネコジキ!」

小学生たちは合唱のように一斉に声を上げた。

玲「…」

川のせせらぎが透明な空を反射して鏡のように自分の影を映していた。  

「メガネコジキ!メガネコジキ!」
「メガネコジキ!メガネコジキ!」
「メガネコジキ!メガネコジキ!」
「メガネコジキ!メガネコジキ!」

子供達の声は徐々に大きくなり、調和の取れた和音のように見事に重なっていった。
水面に映る自分の影が揺らめき、泡がコポッとはじけた。
影が見えなくなった。
玲は自分の身がその和音に引き込まれていくのを感じた。

自分は操り人形だ。
これは私ではない。私の体を借りて何かがやっていることだ。
コンクリートのきな臭い匂い、赤く広がる血の海。
自分の両手に抱えられたコンクリートブロック。
飛び出た脳髄すらもそれで叩きくだく。
声もなく壊れた六体の幼い人形。その血は川の流れに合流し、果てしなく広がる海に達する。
そして水蒸気になり、雲を作り、雨となり、洪水となって自分の家を押し流すのだ!
「私は橘玲だ。こんなことをするわけないじゃないか。姫子より冷静で、クラスのリーダー。
なんてったってクールだ」
「あははは、私は今から少女Aだ。少女QじゃなくてAだあああ、あはははは」
頭からつま先までヘモグロビンで染まった一人の少女が深紅に塗られたロング髪をふりまわし
限りなく蒼い空に白く輝く冬の太陽に向かって叫んだ。




東京拘置所。面会室。

「243番、はいります」
いつものクールな、しかし低めの声が狭い部屋にひびく。
駅の窓口のような小さな穴のたくさん開いたガラスの前に座る。
「玲さん、髪形変えましたね」
「ああ」
目の前には一条。相変わらずのいつもの雰囲気をただよわせている。
玲はトレードマークの長い髪をすでに切っていた。今は姫子とくるみ(長い髪バージョン)の中間の長さだ。
一条「今日はあなたが学校に忘れてきたのを届けにきました」
玲「…すまない」
一条はいくつかの小物やノート、シャーペンなどを玲に渡した。
玲「…ありがとう」
一条「いえ、学級委員として当然のことをしたまでです。
玲さんの存在はC組の皆さんの間ではなかったことになってますので」
玲「…。当然だな…」
一条「宮本先生は学校を辞められ、キャリアに深い傷がついてしまいました。
あなたのせいで桃月学園の評判は地に落ち、三年生は推薦入試や就職で落ちる人が続出。
桃月学園の生徒教職員全員がひどく迷惑しています。今年の入試も倍率が下がり、学園の存続自体が
危ぶまれるところまで行きました。なんとか私の頑張りで乗り切りましたが。
実を言うとわたしもあなたには会いたくありません。学級委員ですので嫌々来ました。
これで最後にしようと思います」
玲「…」
玲はシャーペンとノートを見つめる。
「1年C組 橘 玲」と記されたノート。数学で出された宿題が計算途中で終わっていた。
玲「なあ、一条…私はどうしたらいいんだ?」

一条「そのノートに猟奇文章でも書いたらどうですか、好きなんでしょう、玲さん」
玲「…!」
断片しかみつからないあの時の記憶。ただ残っているのは血の匂い。
腹が減っていたので飛び出た脳髄を食べていたところを取り押さえられたところしか覚えていない。
なんであんなことを?
腹が減っていたから。私は貧乏だから。食べ物がなくて腹が減っていたから。
それだけだ。私は高カロリーのタンパク質を必要としていたのだ。おいしい血液と
大脳、中脳、小脳、脳幹、視床、脳脊髄液が栄養不足の私が生きていくのに必要だったから!
一条「それがあなたの本性ですね。貧乏はほんとうに嫌です」
まるで自分の思考を読み取られているようだった。
貧乏という言葉が脳を貫いた。玲は下を向いてプルプル震えた。
一条「でも今は三食出ているでしょう?暖房も効いてるし、立派なコンクリの家に住んで
よかったですね。もう人肉を食べなくてもいいんですよ」
何も声にならず、ひたすら獣のようなうめくようなすすり泣きをはじめる玲。メガネに涙の池が溜まる。
一条「いつまで泣いてもしょうがないですよ。死んだ子供達の家族に比べれば気楽な悲しみなんですし
6人も。なんてひどい人なんでしょうあなたは」
玲「ど…どうすればいいんだ…」
一条「小説でも書いてヒットさせて償ったらどうですか、某少年死刑囚のように。 猟奇小説じゃ非難ごうごうでしょうけど」
玲「…私はあのとき操り人形だった…人形が食したんだ。貧乏で…貧乏でなければ…
私は貧乏に負けてしまった…」
一条「いいえ、あなたは自分に負けたんですよ。これからはできるだけゆっくりしてください
あなたは日本犯罪史に名前を残してしまったのです。外へ出ても貧乏になってまた食べたくなるだけです。
ね、クールな玲さん」
  
橘 玲…もとい少女Aには、現行の少年法の最高刑の無期懲役が求刑されていた。
昨今の厳罰化の流れに伴い、仮釈放はどんな模範囚でも20年以上先である。
なお最高の収容年数は、終戦直後に玲と同じ十代で逮捕され、現在もなお収監されている者である。
 
一条「立派な家に住めてよかったですね」
 
面会時間が終り、職員が腰紐を引いて奥のドアへと玲を連れて行く。
一条はいつもの無表情で席を立ち、振り返ることなく静かに面会室を出て行った。(終)

inserted by FC2 system